TechAcademyのUnityコースを受講されたブライアン・トーガソンさんにお話を伺いました。翻訳の仕事をしながらオリジナルゲームを開発、プログラミングを始めたきっかけやゲーム開発をする中で感じた面白さ・難しさなどお伺いしました。
プロフィール:ブライアン・トーガソン
1983年生まれ、東京都在住。仕事をしながらオンラインブートキャンプを受講し、RPGゲームを自身で開発。現在はAndroidアプリコースにも挑戦しており、今回はゲームではなく実務で役立つツールを開発中。
日本で翻訳の仕事に携わる
――最初に、自己紹介をお願いします。
ブライアン・トーガソン(Bryan Thogerson)と申します。現在は金融系の翻訳の仕事をしています。現在の仕事は3年前から携わっているのですが、その前は長野県に住んでいて全く別の仕事をしていました。当時の仕事はサービス業で、その中で翻訳も行い接客やイベントの企画などもしていました。
――日本に興味を持ったきっかけなどはありましたか。
昔から日本の文化や伝統、ゲームやアニメなども好きだったんです。アメリカでも子供の頃からファイナルファンタジーとか遊んでいたのですが、そのときは日本のゲームかどうかはあまり意識していなくて、日本に興味を持ったきっかけは長野オリンピックですね。中学生のときだったと思いますが、競技と競技の間にアナウンサーの人がお店や街の人に取材をしていて、日本の雰囲気って良さそうだなと感じましたね。
――日本に来られたのはいつ頃ですか。
最初に日本に来たのは高校の時で、姉妹都市プログラムというものでした。そのときは東京ではなく、北海道の江別という町だったんですが、当時は日本語も全然分からない状態で、ホストファミリーと一緒に回って案内してもらいましたね。
その後、アメリカに帰って、また大学生のときに京都に1年間留学をしたんです。そのときに日本で仕事がしたいと思うようになり、アメリカの大学を卒業して1年ぐらいしたときに、長野で働いていた知り合いに仕事を紹介されました。
――現在の金融系の翻訳の仕事を始められた経緯はどういったものなのですか。
簡単に言うと、東京に引っ越したいと思っていたんです。長野でのサービス業も色々な事情があってできなくなっていたので、それをきっかけにリクナビで条件の良さそうなところに応募をしました。翻訳の仕事をしたいと思っていたので、翻訳ができる仕事で東京に会社があるところを中心に見ていましたね。
――翻訳の仕事で難しいと感じることはありますか。
会議の資料など色々なものを翻訳しているのですが、日本語だと「まず主語を使わない」、「ただ名詞を並べて説明する」など、それをうまく解読して英語に組み替える作業が難しいです。私自身は会議自体には出ていないので、どういうニュアンスで発言したのか汲み取る力が必要だなと感じますね。
ものを作る手段としてのプログラミング
――今回TechAcademyでゲーム開発を学ばれたと思うのですが、プログラミング自体は、勉強した経験はあったんですか。
大学のときに興味があって、C言語を使った基礎的な授業を取っていました。専攻していたのは日本の文化についての学科だったのですが、その学校は自由で、学部にかかわらず好きなものを受けることができたんです。
教授に「基礎ができたら自由に作っていいよ」と言われ、友人が敵が出るなど本格的なRPGを開発していたんです。私も影響されて、脱出ゲームを開発したのですが、マップの上を歩くぐらいしかできなかったですね。
――現在、翻訳のお仕事をされている中で、またプログラミングに興味が出てきたきっかけって何だったんですか。
日本に来てからも自分で勉強しようと思って、JavaScriptなどの本を買って何か作ろうとしていたのですが、あまりうまくいかなくて諦めてしまったんです。その時、友達が教室に通う形式のプログラミングスクールに通っている話を聞いて、ネットで探してTechAcademyを見つけました。ちょうどUnityをやりたいと思っていたのと、時間も自由だし完全オンラインなので社会人としては勉強しやすいと思い受講しました。
――Unityをやりたかったというのは、ゲームが作りたかったというところに繋がりますか。
そうですね。また、Unityの場合は一番基礎のところをプログラミングしなくていいですし、スマホゲームや、ゲーム機のプレイステーションなどもUnityを使っているゲームが多いというのも知っていたので、ちょうどいいなと思いました。
構想しているゲームのひとつのパートとして作成した「Sky Warriors」
――今回作成されたゲームのタイトルと、概要についてお願いします。
「Sky Warriors」というゲームです。ステージが3つあり、飛空艇を操作して戦います。3人の主人公がいて、それぞれ特殊攻撃があり、それを切り替えながら進行していきます。ひとつのステージでは魔物と戦い、ひとつのステージは他の人の飛空艇等と戦います。もうひとつのステージは永遠に続くステージで、ランダムで色々なパターンの敵が出てくる形式になります。
主人公3人からリーダーを選択するのですが、ひとりは敵を追っていき、連射できる弾を撃つことができます。ひとりは大きな闇の剣を使って敵にダメージを与えるのですが、それ自体は動かないので飛空艇そのものを動かして攻撃を当てていくことになります。もうひとりは、当たると広範囲にダメージを与えるファイアボールのようなものを出して戦います。
――今回作成されたゲームについて、以前からイメージはあったんですか。
今回作ったのはシューティングゲームですが、もともと作りたいRPGのイメージがあったんです。そのRPGで島から島へ旅するときにシューティングゲームに変わって、そうして島に着いて街に行ったりダンジョンに行ったり冒険するというイメージです。今回は、そのシューティングの部分が形になった感じですね。
――今回始めてアプリとしてリリースしての感想をお願いします。
やっぱりちょっとドキドキしました。リリースするまでは自分とメンターの方しか見ていなかったので、誰でもダウンロードしてプレイできるようになってそのプレイした人はどう思うのかとかちょっと緊張感がありました。
――お仕事もされながら、時間に限りのある中での受講だったと思うのですが、勉強のスケジュールなどはどのように立てられていましたか。
週末は一日中集中して、平日は時間のあるときにやるという形でした。今はAndroidコースも受けているのですが、そちらも同じように進めています。
用意されていたカリキュラムは1か月で終わったので、その後残りの1か月で作りました。作成中は週末に加えて、平日も使って進行していました。
――オリジナルサービスの作成はどう進めていましたか。
基本のところはコースで習ったところと同じで、オブジェクトの作り方やスクリプトの書き方などは、自分でも調べながら分からないところはメンターに聞くという感じで進めていきました。メンターには例えば「ゲームでこういうことをしたいんですが、それは何を使えばできますか?」などざっくりとした質問もしましたが、ゲーム会社の経験も多い方だったので、色々と丁寧に答えてもらえましたね。
スキルを向上させ、自分の持っているアイデアを形にしていきたい
――今後実装したい機能や、こういう形にしたいというところはありますか。
今はシューティングゲームだけですが、戦闘のスタイルを3つにしたいと思っています。ひとつはシューティングで、ひとつはRPG、もうひとつは、飛空艇と飛空艇の決闘のようなもの。使える攻撃も、キャラや部品によって変わってくるなど色々整えていきたいですね。
受講中にできなかったことを追加したり、ストーリーも追加したりブラッシュアップしたものをアップデートとしてリリースして、それからずっと考えていたRPGを作る方にいきたいと思います。
――他の言語や技術で、使ってみたいものなどはありますか。
現在AndroidコースでJavaをやっているのですが、それもなかなか面白いですね。ちょうど今私がそこでやっているのがアプリを作るという課題なのですが、今回あえてAndroidの方ではオリジナルアプリはゲームではなく、ツールを作ろうと思っています。
――Androidの方では、どんなツールを作ろうと思っているんですか。
翻訳で使えるツールを作れたらと思っています。
例えば日本語を入れたら英語のリストが出てきて、実際にどう使われているか、そのリストをセットで用語集で保存していく。それを参照したりエクスポートができるツールを作りたいです。これは今自分がやっている実務に通じるものになりますね。
――ゲームやツール開発と様々なアプリを作られてますが、今後のキャリアなどはお考えなんですか。
これからは、フリーでアプリを作ったりしたいですね。翻訳もやっていきますが、それだけでなくゲームの方でも収入を得ることができればと思います。まだまだスキル不足ですが、今後もっと勉強して、考えているものを作りながら覚えていきたいと思います。自分の作ったゲームがうまくいって、それがビジネスになるのが理想ですね。
――最後に、自分でゲームを作りたい人やアイデアを形にしたい人にどういう意識で勉強していけばいいかアドバイスがありましたらお願いします。
私にとって自分の中のアイデアを引き出す方法として、プログラミングが一番最適な方法だと思いました。受講して一番よかったのはメンター制度でしたね。週に2回メンターの方と話すので、何かの進捗がないと恥ずかしいとか思ってました。それがモチベーションになってどんどん進んで、自分のアプリが形になっていくのを見るのが凄く楽しかったです。
前に本で勉強した時は続かなかったので、自分の背中を押してくれるような人を身近に置くことが大事だと思いますね。
(インタビュアー:小嶋大貴)